「できる」と「教える」は違う。「先生」と呼ばれて15年の今、考えること。

パソコンインストラクターになるには

パソコンインストラクターと聞けば、それなりに操作技術があって、知識もあって…と想像される方が多いと思います。パソコンの操作性も機能も、パソコンが個人の家庭に普及し始めたころに比べたら格段の進歩を遂げています。

操作ができれば教えられる。そういってパソコンインストラクターになりたいとやってくる人がいます。でも、わたしはこう思います。

操作ができる=教えられるではないと。

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教えると聞かれたら答えるは違うのではないかと思う。

うちにやってくるパソコンインストラクターになりたい人は、どちらかといえば「聞かれたら答えられる人」です。

でも、インストラクターというのは教えるのが仕事です。教えるというのはカリキュラムに沿って流れを伝える、基本的な操作を伝えるのがお仕事です。

カリキュラムも自分で作ります。教えたいことに必要な素材(操作方法も含め)を集め、流れを作り、到達目標を設定します。がこれをお願いすると「できません」という人がほとんど。

じゃあ、カリキュラムは既存のものを使ってくださいというと、今度は「何を喋るのかシナリオはないのですか」と言われる。シナリオってあったかな?と既存のカリキュラムを探すけどあるわけないんですよね。セリフじゃないんですから。

確かに操作技術はある(といっても右クリックばっかりですが)。
ある程度の文書は作成できる。きっと慣れればできるようになるだろう、そう期待しながらそれに付き合うことになるのですが…。

「できるから教えられる」と言う人にありがちな行動パターン

うちにやってくる人のニーズは世間と同じように二極化が進んでいます。パソコンの電源を入れるだけでも息をのむ人とささっと右クリックで何でも操作できる人が共存している教室です。

たぶん、教える側からすれば、右クリックで何でも操作できちゃう人に対して話すというほうが得意なんじゃないかと思うのです。お互い、操作できるもの同士ですから。

操作できる人は早さを競うようなところがあります。うちにやってくるパソコンインストラクターさんにひとり面白い人がいて。受講者と張り合うんですよ(笑)、その人以外の受講者を放り出して。その教室のサポートスタッフに聞かされ、「えー、そんなはずないでしょ」って笑っていたら、受講者の方から電話があって事実だと知る…という。

その人が特別だったんだと思いますが、教える立場としたらあってはならないことなので叱りましたが、意味を分かってはくれなかったです。「そのほうが楽でしょ?!なんで楽な方法を話しちゃいけないんですか?!」と言われてそれ以上話すことはない、そうしたいなら教室を担当するんじゃなくて個人的にサポートされたらどうだろうと話して終わりました。

誰にとっての「楽」「便利」「簡単」なのでしょう?自分の主観を相手に押し付けない

さきほどの「楽を伝えて何が悪い!」の人がいう「楽」についてですが、便利や簡単も含めてだれにとってなのかなと思うことがあります。

わたしにとって、もちろん「楽」「便利」「簡単」な方法はあります。そりゃもう、いっぱい。それくらい操作していますし、実現しなくちゃいけない(つまり仕事)ものもたくさんありますし、自分なりのやり方って見つけていきますよね。

楽だ、便利だ、簡単だってその人の持ち物、主観だとわたしは思うのです。主観は人それぞれ違うものではないでしょうか?右クリックが楽な人もいればそうじゃない人もいる。だから、わたしはこの「楽」「便利」「簡単」という言葉は使わないようにしています。

わたしにとって教えるとは待つこと。そして自分は万全じゃないと理解し、常に学び続けること。

教えるといえば学校の先生を思い出しますが、その教えると自分がやっている教えるは違うなと思います。

時間というか、なんというか。わたしには待つことができる時間があるということ。だから、わたしはとにかく待ちます。基本知識を何度も何度も形を変えて話し、問いかけを繰り返し、受講者が自身で方法を見つけるのを待つことができます。

そして技術の進化を常に学び続けることができる、少しでも新鮮な情報をと考える一方で、基本は基本、揺らがないように伝える。いつまでも学び続け、それを伝えるために、基本と応用をしっかり分けて伝える。それができる位置にいるのが有難いことだと思うのです。

だから、待つことができると思っています。結果はすぐには出ないと知ってもいるから。

15年、パソコンインストラクターをやってきて思う、「教える」って何だろう

そして私にとって教えるとは、立ち位置を変えずに待つことだと思います。与えるだけが教えるではないとも思います。与えるのは知識ではなく、知らないことを知る、考えたりやってみたりするきっかけである「場」。そして、一番与えなければならないと思っているのは「安心」。

操作方法という「知識」を与えるのではなく、その人がやってみたいと思うコンテンツを提供し、知らないことを知る、やってみる機会を持つ場を与える。

やってみたいと思う動機を高めるには、恐怖心や不安を少しでも軽減する必要があるので、「先生がいてくれるなら安心」だと思ってもらえるように、立ち位置を変えず、いつでもここにいるから、と伝え続けることなのではないかと思うのです。

最初から完璧な表を作らせず、あえて「あ!この表の上にタイトルが必要だったんだ!」という演出。表の上にタイトルがないと何の表だか分からないね…、さて困ったぞ…みたいな。
(もちろん、テキストの流れに沿ってますので、操作方法は明記しています)

ここで、表の上には表の内容を表すタイトルが必要なことを印象付けます。

普段の講習内容を踏まえ、どの手順が適しているかを「判断」してテキストを作っていますので(うちは自作テキストなんです。だから毎週締切があります涙)、説明する手順はひとつ。

操作方法を伝えます。一緒に操作を追うときもあれば、手順が少ない場合は、テキストを見てもらいながら私の操作を見てもらってから一斉に操作をしてもらうときもあります。

無事操作が終了すればいいですが、そうではないときも多々あります。操作に躓きそうな人を見つけても私は何も言いません。ただし、その人が躓いてしまったとき、私を探す必要がないように、その人の視界に入るように、呼ばれても聞こえる範囲に居るようにしています。

私の「教える」は、先生がいるからやってみよう!という気持ちになってもらえるように、何かあっても先生がいるっていう安心感を持ってもらえるように、たとえ躓いたとしても大丈夫、躓いた理由を見つければきっとテキストを見なくてもできるようになる、それまでは何度躓いても一緒に理由を探すからという気持ちを伝え続けること。

そのために、自分自身が学び続けること、何にでも興味を持ち、アンテナを張って。受け取った情報を自分の中に取り込み、コンテンツを充実させていくことだと思います。

私自身が「できる人」だという過信を持たないように、自戒の意味を込めて書きました。初心を忘れることのないように。

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