「ワークショップ」とは。ワークショップに参加して思う理想のワークショップについて考える

仕事術
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数々のワークショップに参加して。理想のワークショップについて考えてみる。

ワークショップという形もファシリテーションという手法もしっかりと学んだわけではないけれど、参加者として前述した後者のワークショップのほうが「参加した」という実感がありました。

町という集合体にはいろんな人たちが暮らしています。いろんな立場で物事を見ている人がいます。テーマをひとつに絞るとそれに詳しそうな関わりがありそうな人を集めてしまいがちですが、一見関わりのなさそうな感じがしても、何らかの形で繋がり合っているのが町という集合体、コミュニティなのではないかと思います。

それにガッツリ絡んでいなくても、もしかしたら近い将来自分の身に降りかかってくることかもしれない。もしかしたら遠い昔に関わったことがあるのかもしれない。

そういういろんな立場の人がひとつのテーマに向かってお互いの思っていること考えていることを発言する、それを「分かっていない」「知らない」と否定するようなものにせず、どういうところが分からない?と掘り下げていく過程で、誰も気づかなかった課題が見つかったり、遠くに見えていた課題が自分の身に落とし込まれるようになる。

見え方、感じ方、聞こえ方はみんな一緒ではないですよね。完全一致は不可能だとわたしはいつも活動を通じて思っています。だけど、完全一致するのが難しいからと背中を向けずに、お互いに出し合っていくことで歩み寄れるところ、譲れるところが見えてくるんじゃないかと思います。それが思いやり…相手の立場に立つことの本当の場面なのではないかと。

そういう経験がある人は譲れないものと譲れるもののボーダーがはっきりしているように感じます。だから、話し合いの場にいても本音で語り合えるような気がします。より良いものを生み出したい、よりよく発展させたい。根本は同じだと思えるから。

グダグダ書いてしまいましたが、ワークショップもファシリテーションも手法であるし、ワークショップを開くことが目的ではない。合意形成を行うための手法は他にもあるけれど、わたしにはこのワークショップという手法もファシリテーションという手法も合っていると思いました。

皆さんにもそういう手法があるだろうな。どんな手法があるのかまた話をしてみたいなと思います。