わたしは個人事業主として働きながら、NPO法人に所属し活動をしています。大きな声では言えないのですが、NPO法人に属しながら非営利組織という組織形態についてしっかりと学んだことがないのです。ましてや非営利組織の経営について学んだことなどありません。
そんなある日、介護施設を経営されている方から「非営利組織について学びたくない?」と声をかけられました。「ドラッカーの本を使って読書会をするからおいで」と言っていただいたことで、ドラッカーの唱える「非営利組織の経営」について学ぶことになったのです。
わたしとドラッカーとの出会い(?)
ドラッカーとの出会いは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」でした。
以前からマネジメントについて勉強したいと思ってはいたのですが、マネジメントの本は書いてある意味が分かりにくくて、何度か図書館で借りてチャレンジしたのですが挫折していました。
店頭でこの本を見つけた時、高校野球の女子マネージャーが~という背表紙で(高校生?もしかしたら読めるかも…)となんとも安易な動機で手に取りました。
そこには高校野球の女子マネージャーが弱小チームを強くしようとドラッカーの「マネジメント」という本を読みながら奮闘する姿が描かれていました。
それがわたしとドラッカー(正確に言えばドラッカーの唱える組織論)との出会いとなりました。
ドラッカーの「非営利組織の経営」を学ぶ読書会に参加してみた
まずこの本のタイトル、非営利組織の経営。
非営利なのに経営?営利を目的としない活動なのに?
とここで無知さをさらけ出すことになるのですが、「聞かぬは一生の恥」とばかりに分からないことを分からないと言う覚悟で読書会に参加しました。
読書会ってどんな流れで行われるのか
読書会は、同じ本をまずは時間を区切って一章ずつ読むところから始まりました。そこで気になったことを付箋に書きます。思いつくだけ書きだすのでものすごく集中して読むことになりました。
章分けして読み込む。読んで感じたこと、考えたことを付箋に書き発表する
主宰者(ファシリテーター)の合図で参加者それぞれが付箋に書かれたことを皆さんの前に示しながら、本に書かれていることと自身の感じたこと、考えたことを発表していきます。
同じ本を読んでいるのに、読み手それぞれに着目する点、感じ方、考え方や捉え方が異なります。
その様子を見ていると、同じものを見ているのに(読んでいる、または聞いているのに)感じ方が違うもの、価値観というのはそういうことだということに気付くのです。
それは組織運営にありがちな「同じ団体に属しているなら同じ感じ方、考え方であるべき」、「言わなくても分かるだろう」「分かって当然。知っていて当然」といった考え方そのものが組織運営を滞らせる一因になるのかもしれない、と気付くことができました。
ファシリテーターが拾い上げまとめながら共有
それぞれの意見や感じ方を共有したところで、主催者(ファシリテーター)が意見をまとめていきます。
読書会に参加してみて思ったこと。
こんな感じで1章ずつ読み進めていく経験は初めてだったし、同じ本を読んで語り合うことも今までの人生で初めてのことだったので、ただ読んでいるよりももっと深いところまで何かが落とし込まれていくような感覚でした。
ドラッカーの組織論に触れてみて感じたこと
ミッションとリーダーシップ
「非営利組織の経営」第1章の「ミッションとリーダーシップ」を読んで印象に残ったフレーズを引用すると
ミッションとは組織に働く者全員が自らの貢献を知りうるようにするものでなければならない
自らの貢献を知りうる…。働く人自身がどれだけ組織に貢献しているかということを知ることができる組織運営にしていかなきゃいけない、ということ。
自分はいったい何をしているんだ、自分がしていることが組織のどの部分を担っているのか、全体から見たらどんなところなのか。
それが見えていないと同じ目的に向かっていっているという実感が得られないだろうなと自分の体験も含めて思いました。
ミッションの三本柱
次に、ミッションの三本柱として書かれている内容にも腑に落ちる部分がありました。第一に機会、ニーズを知らなければならない。第二に自分が持っているものを踏まえ、基準となりうるものは何かを考えなければならない。成果に新たな次元を持ち込むことができなければならない。第三に何を大事に思うかを考えなければならないと書かれてありました。
ニーズを知る
ニーズを知るという部分を読んで思ったのが、ニーズというのは現場にいるから感じることができる、現場にいなければ分からないと思いがちだけど、その場に身を置かない人でも、直接的に関係がない人でも「ニーズを知る」こと自体はできるのかもしれない、ということ。
たとえば、組織をざっくりと運営側と現場に分けてみたとき。よく耳にしませんか?「現場にいない運営には現場のことは分からない」って。
わたしも口にしたことがあるし、運営側に怒鳴り込んだ(と運営側に言われたw)こともある。
現場にいると「わたしが一番この場を知っている」と思いがちです(これは自戒をこめて)。
いつも同じ人と会い、同じ場所にいるとそこだけが「世界」だと思ってしまうことがあるんですよね。特に非営利組織だと対価よりも感情や役に立つことに価値を見出しやすい風潮があります。
そうなってくると、自分が一番知っている!と思ってしまうんですよ、やっぱり。人と接すれば情に振り回されます。現場がこんなに困ってる!!なんて言ってしまうことだってある。
でも、その現場が困っている=ニーズなのかと言われれば疑問が残る。
「あの人困ってるじゃないか!なんとかしなさい!」って言うのは誰でもできる。
これをニーズだという人がいるが、それは違う、と思った。
その人が困っていることがあって(これは問題)、それを何とかしなさいというのではなくて、他にも同じようなことで困っている人はいないかと聞いてみること、それを解決できそうなものがないかを探すこと、それをしても見つからないときに「課題」として定義し、どうすればその困ったことを解消できるのか、困る以前に食い止める手段はないのかと働きかける流れがニーズ、じゃないかと思ったのです。
声の大きさ、多さではなくて。今あるもので不足しているものやあり過ぎてしまうものを洗い出していくのがニーズなのかな、と。
自分の持っているものを知り、基準となるものをは何か
「自分の持っているものを知る」。
自分の持っているもの。目に見えるものだけではないですね。思いだったり考えだったりもそうだし、人脈というものもそうだと思います。もちろん目に見えるもの、資金というのもあるでしょう。
自分が持っているものと言われると、つい目に見えるものであったり数が分かりやすいものだったりしますが、今までやってきたこと、一見今の活動、これからやろうと思っていることには関係が無さそうなことでも役に立つことはあります。
役に立つことというのは、役に立ってると実感することは少ない。あとから考えてみると「役になってたんだな」と気付くことのほうが多いかもしれません。
何が足りなくて、何があればそれが実現可能なことになるのか。それを知ることは大事なことだと思いました。
何を大事に思うのか
何を大事に思うのか。それは人であったり事柄であったり、もしかしたらモノかもしれません。
何を大事に思っているのかというのはとても大切な要素でありながら、そこと向き合うことをしていない自分がいました。
自分は何を大事に思っているのか…。難しいと感じました。人のためとか誰かのためとかそういう気持ちも絶対にあるけれど、でも他にも、たとえば自分自身がそれを望んでいるということもあるのかもしれないと感じました。
自分がしようとしていることはあくまでも手段であって、その手段を使った先に何を描くのか。そこがぶれないように掘り起こしていかないといけないなと思いました。
ドラッカーの組織論の一端に触れて
まだ読み込みが弱くて上に書いたようなことくらいしかたどり着けていないのですが、この読書会という形で組織論を読むことによって、価値観の違いというのが実感できたのは大きな収穫でした。
同じものを見ても感じ方や考え方、捉え方が違う。まったく同じ人はひとりもいなかった。ということは、自分がやろうとしていること、実現したいと考えていることをたくさんの人に話をしてみて、それぞれの価値観を知ることで多角的な視点を手に入れられるのかもしれない、と思いました。
これからもう少しこの組織論を読み込み、自分が目指すものが何か、大事にしたいと思っていることは何かを掘り下げながら、たくさんの価値観に触れながら、絞り込んでいきたい。より具体的なイメージが描けるように。