わたしにはメンターが2人います。一人は職場で一緒になった後輩。後輩なのに何?と思われる方もいるかもしれませんが、彼女はわたしにとって間違いなくメンターです。そしてもう一人は、職場も目指す道もまったく違う、年齢も違う、共通項があるとすれば「母親」である、というくらいの人、です。
誰にでもメンターは存在します。が、それを意識できるかどうかはメンターそのものの役割を知っていなければ「この人がメンターだ」と認識することはできません。
メンターとは
では、メンターというものがどういうものなのか、それを知るために「メンター」という言葉を調べてみると、以下のような記載がありました。
メンターとは、仕事上(または人生)の指導者、助言者の意味。メンター制度とは、企業において、新入社員などの精神的なサポートをするために、専任者をもうける制度のことで、日本におけるOJT制度が元になっている。メンターは、キャリア形成をはじめ生活上のさまざまな悩み相談を受けながら、育成にあたる。
参照 メンターとは‐コトバンク
メンターとは、仕事上(または人生)の指導者、助言者の意味とあります。この仕事上または人生、というところに意味があるような気がします。
わたしにとってのメンターとはどんな人?
年下で自分とは価値観がまるで違う。だからこそ冷静に見極められる存在
わたしにとってのメンターのひとりは職場で出会いました。彼女は5つほど年齢が下になるのですが、わたしとは全く違う価値観を持ちながらも、お互いのことを認められる、そんな人です。
他の人に言われるとカッとしたり落ち込んだりしてしまいそうなことでも、彼女から言われると静かに聞いていられる。自分の中の自分と向き合うことができる。
彼女をメンターの役割に当てはめてみると「助言者」になると思います。
人生の師。指導者のような存在
そしてもう一人の彼女は、職場のつながりはありませんが、人生の師のような存在。自分が迷ったり悩んだりしたときは彼女の声が聞きたくなります。
彼女はわたしに答えをくれることはありません。そしていつも「私はこう思う」と自分の意見を言ってくれます。それもわたしにとっては無い視点。まったく思いつかない、目にすることのない、いや、目にしていても気付かないところ。
彼女をメンターの役割に当てはめると「指導者」になると思います。
メンターとの出会いはさまざま。職場にいる人だけを指すわけじゃない
さて、ここまでは自分の話を中心に書いてきましたが、これまでの経験から、メンターというのは形がひとつではないし、出会い方、関係性もひとつではないと考えるようになりました。
仕事の場で出会う可能性は多い
まず、メンターという言葉の説明にあるように「仕事上」での出会い。仕事を円滑に行うためには経験豊富なスタッフが経験の浅いスタッフを指導する場面が思い浮かびます。
わたしもそれなりに年を重ねたので、職場では指導者の立場になります。この立場になって思うのが、仕事を教えるとは、仕事を行う上で必要な知識や技術、人との接し方などを教えると思うかもしれません。
ですが、本当の意味で仕事を教えるとは、指導される側(メンティと言います)の中にあるはずの答えを導き出すように、仕事というものを主体的に考える力を養うことなんじゃないかと、指導する立場になって思うようになりました。
もちろん、指導する側であるメンターもこの場で一緒に育つんですよね。人に何かを伝えるには伝えたいことを咀嚼する必要があります。教えられたとおりに覚えるだけならマニュアルを見ればいい。
だけど、仕事というものをしっかりと行っていける人材を育てるなら、精神的なサポートが必要です。
ただ、精神的なサポートというと甘やかす?と誤解されるかもしれません。が、叱るときは叱る。褒めるときは褒める。ゆるぎない軸を見せる。それがメンターの役割なのではないかと。
職場以外での出会いもある。会ったことがない人でもメンターになる
そして、もうひとつの出会い。これは直接会う場合もありますが、メディアで取り上げられている人のように直接会うことが出来ない人もメンターになり得る。
こんな人になりたい、こういうふうになりたいと思わせてくれる、ロールモデルとなる存在との出会いは大きいと思います。
ロールモデルとの出会いはわたしにとって大きな出会いだった
わたしにとっては2人目のメンターが、ロールモデルにあたります。彼女の考え方・生き方、そして在り方は、今まで出会った人たちの中では感じられなかったものでした。
彼女が進む道は、わたしとは違います。道は違いますが、考え方の方向性や何を大事とするのかがとても似ている人なのです。
ロールモデルである彼女は、わたしにとっては「追いつきたい」人であり、「追いつけない」人です。そして、追いつけないのに悔しくない。むしろ、もっと前を走ってください!とお願いまでしてしまう人。
周りにもいませんか、あの人凄いねっていう人。彼女はわたしにとっては「凄いね」な人。「でもあの人は●●だからできるのよ」「でもわたしには無理」とか、そんな感情を一切持たない。
ロールモデルの彼女に出会って、最初は圧倒されたし、正直嫉妬もしました。負けたくないって思ったこともあります。悔しかったこともあったかもしれません。
そんなある日、彼女から「一緒に晩御飯食べない?」とLINEが来ました。最初は戸惑いました。なんでわたしだ?なんか言われるのか?と構えてしまいました。
が、行きました。どんな人なんだろう、知りたい欲望のほうが勝ってしまった。
話してみると、なんてことはない。思いっきり普通の人だった。(あ、この人も人間だったんだ)、それが正直な気持ちでした。
愚痴も言う。言うけれどその後が違うんです。自分というものをとてもよく知っているし、自分の中の自分としっかり向き合っている、そんなふうに感じたのです。
それから、わたしは彼女の真似をするようになりました。というより彼女ならどうする?と考えるようになったのです。脳と心を切り離すことができるようになった、というと大げさですが、感情とそれは違ってもいい。その場の最善を尽くす。そう考えられるようになったのです。
そんな二人ブレストを重ねていくうちに、彼女とは違う視点が自分にあることに気付きました。そのことを思いきって彼女に打ち明けてみました。
普通なら否定と取られ兼ねない発言でした。でも彼女は否定された、とは取らずに、「新しい視点だね、なるほどそういう視点もあったね、勉強になるわ」と言ったのです。
それはわたしが彼女に認められたように感じました。言ってもいいんだと思えた瞬間でした。彼女の懐の深さを改めて知りました。
こりゃ、勝てないわ…と思いました。彼女の経験を上回ることはできないと悟りました。それから彼女はわたしのロールモデルになりました。とはいっても完コピではないですよ、あくまでも考え方、そして在り方を目指す、そんなお付き合いになりました。
メンターとはどんな人を指す?これが分かると見え方が変わるかも
こういう経験を経て、わたしはメンターであり、ロールモデルであり、そんな存在がいるということを意識することができ、それが誰かということを知ることが出来ました。
メンターは特別な人ではありません。あなたの周りにもきっといます。
メンターにしてもロールモデルにしても、それがどんな存在であるかが分かっていなければ、通り過ぎてしまうかもしれません。意外と気付いていないだけでもう出会っているかもしれません。
もし、メンターなりロールモデルなりに出会ったあなたが、どんなふうに成長を遂げるのか、それを見る周りの人からあなたがメンターとなり得ることもできる。そう考えると、人との出会いには意味があり、それを意識するかしないかで自分の在り方や生き方が変わるかもしれないですよね。